エピソード III〜 静子

16.招待

ドリーと名乗る女とキッスをしたことは静子の気持ちに二つの変化をもたらしました。一つは女の気持ちが明らかになったことで、静子に心のゆとりが生まれました。静子が投資家の妻と知っていながら、少なくともキッスまではしたのですから、女が静子に只ならぬ好意を持っていることは間違いありません 。しかも静子の欲望を満たせてくれるのに十分な魅力を備えていることも確かです。浮気相手としては最適ですし、これから少しずつ恋の奴隷に育てていけばいいのです。そして二つ目は不思議なのですが、 この女がマイクとはどうしても重ならないのです。マイクがドリーであることは頭では理解していても、静子がキッスをしたのはまったく別の、たまたま静子が知り合った女に思えてならないのです。

言うまでもありませんが、コージに対しても余裕を持って接することが出来るようになりました。女とキッスをした翌日の月曜日には 、ダニエルが言ってた通り、彼のファンドがIPXに投資すると決めたという連絡がコージに入ったようですが、コージは静子には何も言いませんでした。

『ボストンのジェニファーとは好きにすればいいわ。私もドリーと楽しむから。でも、もし私がマイクと付き合ってると知ったら驚くわね』

ところが残念なことにその後の二週間はコージが泊りがけで出かけることはなく、その代わりに静子には何度か東海岸へ出張する用事が入りました。昼間に電話をしても オフィスではマイクなので、仕方なく静子は旅先から夜になるとその女に電話を掛けました。

やっと静子がLAに戻ったのはクリスマス・イブの前日の木曜日でした。 もう3週間近くも女とは会っておらず、静子は無性に女に会いたかったのですが、焦ってはいけないと自分に言い聞かせてコージの貞淑な妻に戻りました。イブの夜はサンセット通りのフレンチ・レストランで食事をして、週末は久しぶりに二人でゆっくりと過ごしました。もちろん毎晩のように激しく情熱的なセックスをしたのは言うまでもありません。

そして幸運にもコージに急な日本出張が入ったのです。年末年始は飛行機も混むし料金も高いので静子もコージもできるだけ日本出張は避けているのですが、急用、しかも日本からの投資の話なので断る手はありません。折角だから実家の両親の顔も見てくるよ と言って、暮れも押し詰まった28日からコージは出かけました。

お昼前に ロサンゼルス空港へコージを送って行った静子は、コージと別れるとすぐにマイクの携帯に電話をしました。

「静子ですけど、ドリーさんに伝言を頼める?」

「あ、は、はい、いいですよ、静子夫人」

突然そんなことを言われてうろたえているマイクの姿が目に浮かび、静子は思わず声を上げて笑ってしまいました。

「可笑しいですか?」

「ああ、御免なさい、笑ったりして。じゃあ、言うわよ」

「どうぞ」

「今日から1週間ほど主人は日本へ行ってしまったの。今晩にも会えないかしら。電話を頂戴。それだけよ」

「分かりました、静子夫人。伝えておきます」

「ありがとう、マイク」

電話を切るなり心臓がドキドキしました。マイクと話している時は何ともなかったのに。でもあんな大胆なメッセージを残したのだから当然です。主人が1週間留守だから今晩にでも会えないかなんて。しかもマイクは結局はドリーなんですから、マイクもきっと驚いたことでしょう。

直ぐにマイクから電話が掛かってきました。きっとドリーです。

「もしもし、静子です」

「ドリーです」

「あぁ、ドリーさん。今晩会える?」

「ええ、7時くらいなら大丈夫です」

「暮れの28日だと言うのに忙しいのね」

「今年中に終わらせないといけないプロジェクトがあるんです」

「じゃあ、明日も仕事?」

「ええ」

「今夜、うちに泊まれない?」

話しながら何て大胆なことを聞いてるのかと思いましたが、不思議に静子は落ち着いていました。

「えっ、あ、あぁ、いいですよ」

「じゃあ、泊まる用意をしていらして?住所は知ってるわね」

「ええ」

「じゃあ、夕食を作ってお待ちしてるわ。何が食べたい?」

「ああ、私は何でも」

「嫌いなものは無いの?」

「ありません」

「じゃあ、簡単にアサリのスパゲッティでもいい?」

「も、もちろんです、静子夫人」

「わかったわ、じゃあ、後で」

「では後ほど」

電話を切ると静子は今度は秘書に電話をして急用が無いことを確認し、今日はオフィスには出ないと伝えるとそのままスーパーに向かいました。そしてアサリとサラダにする為の野菜を買 うと自宅に戻りドリーを迎える準備を始めたのです。

* * *

アサリのトマトソースが出来上がり、サラダの野菜も切り終えて冷蔵庫に仕舞うと、静子はシャワーを浴びることにしました。いつかボストンでケイトと再会した時のようにシャワーキャップを被ると念入りに身体を洗い、ビキニラインも綺麗に整えます。

『今頃はドリーもきっとシャワーを浴びている頃ね』

今夜これから起こるであろうことを想像すると息が弾みます。静子は最後に全身に熱いシャワーを浴び、ギュッと自分の身体を抱きしめてからシャワールームを出ました。

バスタオルを裸身に巻き付けて洗面台の前に座ると静子は念入りにメークを施します。ドリーに負けないように、少し濃い目のメイクに。

『何を着ようかしら?』

黒のレースの極小のTバックだけを身に着けた静子はウォークイン・クローゼットに入ると、ハンガーに掛かったドレスを幾つか身体に当ててみましたがどうもしっくり来ません。

『出かけるわけじゃないし、普段着の方がいいわね。あっ、そうだ、このあいだドリーが選んでくれたセーターを着ましょう』

静子はピンクのセーターに合うように、お尻にピンクの刺繍の入った真っ黒のストレッチ・ジーンズを穿き、ブラは付けずにセーターを頭から被りました。 あの日、ドリーの寝室で素肌の上に着て以来です。鏡の前で右を向いたり左を向いたりして、乳房のラインが綺麗に出ていることを確認します。

『これでいいわ』

そろそろ約束の午後7時です。静子が落ち着かない様子でリビングのソファーの上のクッションの位置を動かしたり、ダイニング テーブルの上のグラスの配置を変えたりしていると、玄関のチャイムが鳴りました。

「ハーイ、今開けるわ」

小走りに玄関に向かった静子がドアを開けると、トートバッグを手にした女が緊張した面持ちで立っています。

「いらっしゃい、ドリー。さあ、入って」

「今晩は、静子夫人。素敵なお家ですね」

女はそう言うとハイヒールサンダルを脱ごうとします。

「そのまま入って。折角の綺麗なサンダルを脱いじゃもったいないわ」

確かに女が穿いている銀色のサンダルは真っ黒のレギンズにピッタリです。

そして上にはグリーンのセーターを着ています。

「あっ」

「あっ」

二人は同時に相手のセーターを指差しながら声を上げました。

「あなたもそのセーター着てきたのね」

「ええ、何にしようか迷ったのですが、あの日の思い出のセーターにしようかなって。折角買ってもらったのに今日まで着る機会がなかったので」

女の顔に少し微笑が浮かびました。

「私もよ」

静子は女の肩を抱くように家の中に招きいれます。

「まあ、広いリビング!大パーティでも出来そうですね」

「ちょっと広すぎて掃除が大変なのよ」

「それにお庭も広いのですね。もう一軒、お家が建ちそう」

庭に面した壁には天井までのガラスドアが4枚はめ込んであるので、家の中からも広大な庭が、そしてその向こうに広がるロサンゼルスの夜景が見渡せます。

女はガラスドアの方へ近づき、「まあ、綺麗」と喘ぐように溜め息を付いてから振り返ると、トートバッグから細長い紙袋を取り出します。

「あ、これ、ワインなんですけど。キャバルネはお好きですか?」

「ありがとう、ドリー。大好きよ。後で頂きましょう。それとも、今すぐ飲む?」

静子はワインを受け取りながら女に向かって微笑みます。

「私はどちらでも。静子夫人のお好きなように」

「じゃあ、最初はシャンパンで乾杯しましょう」

静子はそう言うとワインを持ったままキッチンへ向かいました。

「ああ、お手伝いしますわ」

女はバーバリーのトートバッグを床に置いて静子の後を追います。

「まあ、キッチンからも夜景が綺麗」

「今日は空気が澄んでるみたいね」

静子は大きな鍋に水を満たすと塩を二摘まみパラパラと入れてから火を点けました。

「シャンパンを飲んでいる間に沸くでしょう」

そして冷蔵庫からシャンパンのボトルを取り出すと、ダイニングルームへ向かい、細長いテーブルの端に角を挟んで並んでいるシャンパン・グラスを2個リビングに持って行くように女に言いました。

「じゃあ、座って」

女はシャンパン・グラスをコーヒー・テーブルに置くと、膝をピッタリと揃えたままハイヒールサンダルに載せた脚を斜めにしてソファーに腰を下ろしました。

静子は女の隣に座ろうかと一瞬考えましたが、少し思いとどまって向かい側に座りました。そしてシャンパンボトルのコルクを留めている針金を緩めると、ナプキンを被せて少しずつコルクを緩めます。

「抜くわよ」

女が両手で耳を押さえながら身体を捻じります。

「そんなに逃げないでも大丈夫よ」

静子が笑いながらさらにコルクを緩めると、「ボン」と音がしてコルクが抜けました。

そして泡立つシャンパンを二つのグラスに注ぐと、静子はボトルを置いてグラスを持ち上げます。女も慌ててグラスを顔の前に掲げます。

「私たちの再会を祝って、乾杯!」

「乾杯」

「ああ、美味しい」

「ホント、とっても美味しいです」

「今晩は来てくれてありがとう」

「こちらこそ、呼んで頂いてありがとうございます」

「ちょっと大胆なメッセージだったでしょ?主人が留守だから会いましょうなんて」

「とても分かりやすかったです」

「でもあなたの会社の投資家の妻と浮気するのって怖くないの?」

静子は言ってしまってから心臓がドキドキするのを感じました。

『どうしてこんなに単刀直入に聞けるのかしら』

女はしばらくシャンパングラスの中を覗き込んで黙っていましたが、スッと顔を上げると静子を見つめながら口を開きました。

「怖いです。とっても怖いです。でも静子夫人なら信じられる気がしたんです。いきなり私の秘密も知られてしまったし、静子夫人には全てを知っていただこうと思って」

「信じてくれてるのね」

女はコクンと首を縦に振りました。

「ありがとう、ドリー。私も決してあなたを裏切らないから安心して」

そう言うと静子は胸を大きく反らせてゴクンゴクンとシャンパンを飲み干しました。

そして「ハァー」と溜め息を付きながら女のほうに向き直った時に、セーターを突き上げている乳房が柔らかく揺れました。

「そのセーター本当に良くお似合いです」

女はそう言うと負けじとシャンパンを飲み干し、静子に較べて小ぶりな乳房がセーターを揺らしました。

「私ね、こうして女装している時はマイクとは別人みたいな気持ちなんです。いえ、別人というか、マイクの時にはしたくても出来ないことが出来ると言うか・・・」

「この前みたいな大胆なドレスを着たり?」

「そう。あんなことが出来るのも、誰も女の私のことを知らないから。マイクとドリーの両方の私を知っているのは、お医者様以外ではこの前一緒にいたローラと静子夫人だけなのですよ」

「でもあのドレスは知ってる人が見ても素敵だと思うわ」

「そうですか?そう言っていただくと嬉しいです。ちょっと大胆すぎるかな、下品じゃないかなって、少しは心配だったのですよ」

「そんなことないわ。私も着てみたいと思ったもの」

「静子夫人ならきっと似合いますよ」

「そお?ありがとう。あっ、そろそろお湯が沸いてるはず。スパゲッティを茹でましょう」

静子が立ち上がると、ドリーもすっと立ち上がり、二人はキッチンへ向かいます。

「良く沸騰してるわ」

静子はキャビネットからスパゲッティを出すと二人分を掴んで鍋に入れ、軽く菜箸でかき回してから火を弱め、タイマーを12分に合わせます。そしてアサリのトマトソースの入ったフライパンを弱火にかけます。

「あとはサラダね」

冷蔵庫を開けて先ほど切っておいた野菜の入ったサラダボウルを取り出し、静子は自家製のドレッシングをたっぷりとかけます。

「これをダイニングに持っていって下さる?場所を変えましょう」

「はい、静子夫人」

ドリーは大きなサラダボウルを両手で持つとダイニングルームへと運び、静子はリビングに戻ってシャンパングラスと未だ少し残っているシャンパンボトルをダイニングへと運びます。

「スパゲッティが茹で上がるまでもう少しシャンパンを飲みましょう」

テーブルの角を挟む位置に二つのグラスを置いた静子は、その一方の椅子に座りながらドリーに微笑みます。

「はい、静子夫人」

ドリーは静子の右側に座ると、シャンパンのボトルを持って二人のグラスに注ぎます。

「さっきの話の続きですけど・・・」

「えーと、どの話?」

「私が女装している時はマイクとは別人っていう・・・」

「ああ、その話ね。続けて」

静子はシャンパングラスを唇に付けながらドリーをじっと見詰めます。

「別人って言っても二重人格みたいな感じでもなく、今この瞬間もマイクのことはちゃんと意識できるし、お昼間は普通はマイクなんですが、その時にもドリーのことは意識できるんです」

「マイクでいるのが嫌と言うわけじゃないのね」

「どっちが好きかと言うとドリーが好きなのですけど、今までずっとマイクだったからマイクも懐かしいし」

「フルタイムで女性になる予定は?」

「今の仕事がある間は難しいです」

「それでも平気なの?」

「今のところは」

「両方を楽しんでるのね」

「そんな感じですね。それで・・・」

ドリーはシャンパンを一口啜ってから続けます。

「それで、言いたかったのは、今の私はマイクとは別人だからだと思うんですが、静子夫人のことも投資家の奥様とは思えないんです。もちろん頭では理解しているんですよ。でも身体は違うんです。私の身体は静子夫人のことをバッタリ出合った素敵な女性と思っているんです。だからお誘いがあった時は嬉しくて」

「分かる気がするわ」

「さっき言ったように静子夫人のことを信頼してるのも本当なのですよ。頭ではそう思って安心しているんです。でも身体はそんなこと関係なしに・・・」

「関係なしに?」

静子がドリーの方に身体を倒して尋ねると、ドリーは声を落として、「身体は静子夫人を求めてるんです」と言い、恥ずかしそうにグラスに残っていたシャンパンをゴクンと飲み干しました。

静子はドリーをじっと見詰めていましたが、フゥーと息を吐くと言いました。

「ドリー、そんな風に思ってくれると嬉しいわ。実はね、私もあなたとマイクとがどうしても重ならなかったの。バッタリ出合った素敵な女性としか思えなかったのよ」

「まぁ、そんな。静子夫人!」

ドリーが静子の方に身体を倒すと静子はドリーの肩を抱くように引き寄せ、二人は唇を合わせました。

その時、ピィーピィーピィーとタイマーが鳴り出しました。

静子は唇を離すと、「続きはあとでね」と言って立ち上がり、ドリーも慌てて立ち上がると二人はキッチンへ向かいました。

菜箸でスパゲッティを一本摘まんで硬さを確認すると静子は「ちょうどいいわ」と言って火を止めます。そしてアサリのトマトソースを暖めていたフライパンの蓋を取って中身をグルリとかき混ぜます。

「ソースも出来上がり」

静子が流しに大きなザルを置くとドリーがスパゲッティを茹でた鍋を両手で持って中身をザルに空けます。湯気が立ちあがると同時に茹で上がったスパゲッティの匂いが 舞い上がります。

「なかなか手際がいいわね」

「スパゲッティは良くするんです」

「じゃあ盛り付けもお任せするわ」

静子は食器棚から真っ白のお皿を二つ出してカウンターに並べます。そしてドリーがスパゲッティを盛り付けている間に、冷蔵庫からチーズの塊を取り出しました。そしてスパゲッティの上にアサリのトマトソースをたっぷりとかけてから、チーズおろし器でパルメザンチーズをたっぷりと振りかけます。

「これ位でいいかしら?」

「ええ、ちょうどいいですわ」

「はい、出来上がり!」

「わあ、いい匂い!向こうへ運びますね」

「お願いするわ。ドリーの持ってきたキャバルネも開けましょう」

静子はワイン・オープナーとキャバルネを持ってドリーの後を追ってダイニングへ向かいます。

「ワインは私に開けさせて下さい。好きなんです」

「じゃあ、お願いするわ」

静子はオープナーとワインボトルをドリーに渡します。そしてドリーが真剣な顔つきでコルクにオープナーを突き刺すのを見つめながら、自然に頬が緩んで来るのを感じたのです。


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