エピソード III〜 静子

14.ドリー誕生

土曜日のお昼前、静子が掃除や洗濯を終えて一休みしていると携帯がなりました。何とダニエルからです。

「静子よ、どうしたの?ダニエル」

静子は声が少しよそよそしくなったような気がしました。

「御免よ、休日なのに。来週まで黙ってられなくて」

ダニエルの声が弾んでいます。

「何か良い知らせみたいね」

「そう。実はうちのファンドもIPX社に出資することに決めたんだよ」

「IPXってボストンの?」

「そう、コージがリードインベスターの。昨日の夕方決めたんだ。コージには来週月曜日に連絡が行くとおもうけど、静子にはこっそり伝えたくて」

静子はダニエル達が果たしてマーケットサイズの読み違いのことを知っているのか気になりましたが、それは機密事項だから静子から漏らすわけにはいきません。

「それは凄いわ。コージもきっと喜ぶわ」

「でも未だ内緒にしておいてね。静子に先に漏らしたと分かると怒られちゃうから」

「もちろんよ。でも教えてくれてありがとう」

「先日会ってくれた御礼だよ」

「まあ、ダニエルったら」

静子は少し気分がほぐれてきたので、少し探りを入れてみました。

「ところで、そのIPXの副社長のジェニファーって知ってる?」

「もちろん。とっても切れものでしかも魅力的な女性だよ」

「そのジェニファーがレズだっていう噂を聞いたんだけど」

「ジェニファーがレズだって?それはあり得ない。バイの可能性は否定しないけど、レズじゃない」

「えらく自信たっぷりね」

「ここだけの話だけど」ダニエルが声を落としました。

「実は最近まで彼女と付き合ってた」

「ええっ!」

「もちろん何度も寝たこともある。彼女はレズじゃないよ」

「彼女の右腕の女性が恋人っていう噂なんだけど」

「シンディーが?彼女は結婚して子供もいるよ。一体誰からそんな噂を聞いたの?」

「オフィスの誰かが噂してたのを立ち聞きしただけよ」

「ふーん。それにしても誰がそんな噂を流したんだろう。いまどき女性の経営陣なんて珍しくないし、もちろんレズの女性も珍しくないのに」

「そうね」

「じゃあ、用事はそれだけだから。コージにはくれぐれも内緒にね。じゃあ、また何処かで。バイ、静子!」

「バイバイ、ダニエル」

電話を切った後、静子はしばらく呆然と突っ立っていました。

『どうしてコージはあんな下手な嘘を付いたのかしら。例えダニエルが教えてくれなくても、私がその気になって調べれば直ぐに分かることなのに』

コージの浮気が本当だったというショックよりも、嘘を付かれたという悲しみよりも、あんな浅はかな嘘を付いてまでジェニファーと会いに行ったコージに、そしてそんなコージの嘘をほんのしばらくの間とはいえ信じていた自分にムシャクシャしてきた静子は気晴らしに 買い物に出かけることにしました。

『そうだ、新しいスーツでも買おう』

スーツはキャリア・ウーマンの戦闘服です。そしてまるで大事なプレゼンに出かける時の様に、静子はグレーのスーツに身を包み、真っ黒のパンプスを履いてビバリーセンターへと向かったのです。

* * *

12月というのに今日は真夏のような陽気です。1階の駐車場に車を止めた静子は車の外へ出ると、サングラスを外しかけましたが、目の前を横切って歩いていく長身のブロンド美人に気付いてサングラスを戻しました。

『どこかで見た顔だわ。そうだ、AGのパーティで見かけたマイクの元彼女。それにしても大胆なドレスね』

静子が驚くのも当然で、そのブロンド美人は太腿を殆ど付根まで露わにした白のレザーのスーパー・ミニドレスを着て、10センチはありそうなハイヒールサンダルに長い脚を載せています。 マイクが言っていたとても優秀な大学院生には似つかわしくないドレスですが、きっとこういうメリハリがあるから勉強にも打ち込めるのかもしれません。

『もしかして新しい彼氏とデート?』

静子はマイクの元彼女がどんな男と会うのかと少し興味をそそられ、少し離れて付いて行くことにしました。昨日のパーティでは顔は合わせてませんから気付かれることは無いはずです。

元彼女はエスカレータを乗り継いで8階まで昇るとカフェに腰を下ろしました。相手は未だのようです。

ちょうど元彼女の後ろのテーブルが空いています。静子は元彼女の背中を左側に眺める位置に座ります。ここからだと、新しい彼氏がどこに座ってもじっくり観察できるでしょう。

静子は一体どうしてこんなことをしているのかしらと自分自身で苦笑しながらも、レモネードとサラダを注文しました。

しばらく待っていると、同じように大胆に脚を露出した長身の女が現われ、「待たせた?ローラ」 と言いながら元彼女の右側、つまり静子の斜め向かいに座るとサングラスを外しました。

『ローラって言うのね。残念ながら彼氏と待ち合わせじゃなかったみたいね』

「私もいま来たところよ、ジーナ。そのドレス良く覚えてるわ。始めてあなたがミニドレスを着て外出した時に買ったのよね」

元彼女のローラが答えました。

『こっちはジーナか。アジア系のハーフかしら?』

後から来た女は黒髪でローラのドレスと色違いのような真っ黒のレザーのこれも大胆なスーパー・ミニドレスを着ています。座ると顔はローラの陰になってしまいますが、静子が少し身体を前に倒せば横顔がはっきり見えるし、逆に後に身体を倒せば斜め前からの顔も見えます。

『彼女もどこかで会ったような?きっと昨日のパーティに来てたのね。同じラボの人かしら?それにしても二人とも大胆な格好ね』

すると後から来たジーナがローラのドレスを見ながら言います。

「あなたもそのレザーのミニドレスだった」

「よく二人でこの格好でデートしたわね」とローラが答えます。

『ええっ、デートって、まあ、あなたたちはレズなの?ローラ、あなたはマイクとこのジーナと両方付き合ってたのね』

思いがけない展開に静子が驚いていると、ジーナが突然感極まったように声を詰まらせました。そしてしばらく俯いていましたがナプキンで顔を押さえるとやっと顔を上げて言いました。

「御免なさい、ローラ。だから今日は思い出のドレスを着て会いたかったの。でも、さっき電話をした時はあなたには辛いかもしれないなと思ったのよ」

『ジーナはネイティブじゃないわね。中国語訛りでもないし・・・もしかして日本生まれかしら』

「ううん、私は大丈夫。それより、これで吹っ切れるような気がするわ。もうマイクは居ないんだって」

ローラが答えました。

『ええっ、どうしてマイクが出てくるの?それにマイクが居ないってどういう事?』

「ああ、ローラ!」

「ジーナ!」

二人は抱き会うと頬をくっつけ合います。

『一体この二人はどういう関係なのかしら?マイクとの三角関係?いえ、それにしては変だわ』

マイクの元彼女がレズであることに興味深々の静子でしたが、どうやらそれだけの単純な関係では無さそうなことが分かってきて、静子はゆっくりサラダを食べながら二人の会話に聞き耳を立ててい ました。

二人はシーフードパスタとサラダをシェアしながらレモネードを飲み、そして良く喋りました。二人とも周りを憚ることなく会話をしていたので、静子は二人の会話を聞き取ることには苦労しませんでしたが、いつまでたってもローラとジーナとマイクの関係が掴めませんでした。

そして、もう頭が変になりそうだわと、静子が椅子の背に身体を預けて少し反り返りながらローラの方を見た時、ローラをじっと見つめるジーナ の顔がほぼ正面から見えたのです。

『こ、この目は、まさか。マイク?』

静子は慌てて姿勢を元に戻し、ローラの陰に隠れます。

ジーナの話し方は完全に女性なのですが、イントネーションやフレーズを無視して声の質だけをじっと聞くと、確かにマイクの声のような気がしてきます。 自分自身も女性にしては低い声なので気にならなかったのですが、ジーナもローラも静子と同じようなアルトボイスです。

ジーナがマイクだとしたら話の辻褄があいます。ローラとマイクは付き合っていたのに、マイクがジーナという女性になり、それでもしばらくは二人はレズビアンのように付き合っていたけれど、ローラはやはり男性でないと駄目 で、だからローラにとってはマイクは居なくなったのと同じなのです。そして今日はそのお別れのデート。

それにしても見事な変身振りだと静子は感心しました。ローラの美貌には少し叶わないかもしれませんが、まるでハーフのような、しかも知的な美人です。そして対照的に大胆なドレス。がり勉だなんてとんでもない。マイク、いえ、ジーナは静子が想像も及ばない不思議な そして魅力的な男性、いえ女性なのかもしれません。

『日本語で叫ぶ魔女って、ジーナ?』

静子はもしかして妄想に出てきた二人を同時に手に入れたのかもしれないと、心臓がドキドキするのを感じました。そしてローラの身体の陰からジーナの様子を伺っていると突然二人の声が小さくなり、二人とも涙を流しながら抱き合い、頬を寄せ合います。そして互いにナプキンで相手の涙を拭くと二人は身体を離し、ジーナがキャッシュをテーブルに置くと二人は立ち上がりました。

静子も慌ててキャッシュを取り出していつでも席を立てる用意をします。そして二人が店を出ると静子も立ち上がって二人の後を追います。

ローラとジーナはエスカレータのところまでゆっくりと並んで歩くと、そこでもう一度抱き合い、そしてローラだけがエスカレータに乗って降りていきます。

何度も何度もローラは振り返り、その度にジーナは手を軽く上げます。そしてとうとうローラの姿が見えなくなると、ジーナは大きく溜め息を付き、身体をくるりと回して反対の方へ歩き始めるので静子も少し後から付いて行きました。超ミニ丈のドレスから大胆に太腿を晒して颯爽と歩くジーナは同性の静子も惚れ惚れするほどです。

ジーナは特にこれというあてもなくブティックを物色しているようで、静子は苦労せずに後を追うことができました。そして小一時間も歩き回るとジーナはスタンドでコーヒーを買って通路に並べてある椅子の一つに腰を掛けました。

『話し掛けるチャンスだわ』

静子は気付かれないようにジーナの後を回ってスタンドでコーヒーを買います。高々と脚を組んだジーナはおもむろにサングラスを外すとテーブルに置き、通路を眺めながらコーヒーを啜っていますが、幸いなことにジーナの隣の椅子が一つ空いています。

お金を払ってコーヒーカップを持った静子はジーナのテーブルに近づいていきます。心臓の鼓動が速くなり、走ってもいないのに息が弾みます。空いたテーブルはいくつもあるのに、真っ直ぐにジーナのテーブルに向かって進み、そしてジーナの斜め後で立ち止まります。

『思い切って声をかけるのよ、静子』

鼓動はますます激しくなり、静子は一つ大きく息を吸って吐いてから、軽く咳払いをしました。そして出来るだけゆっくりと、しっかりした日本語で言いました。

「相席させてもらっていいかしら?」

女は突然日本語で話しかけられて驚いたように振り返りましたが、静子がサングラスを外すと、女の顔に緊張が走りました。

『私が誰だか分かったようね』

しかし女は平静を装うように周りを見渡してから、少し震える声で、「ぇえ、どうぞ」と日本語で言うと、視線を合わせないように通路の方に顔を向けました。

『でも分からない振りをしているのね。それじゃ、こうしてあげるわ』

静子はコーヒーカップをテーブルに置くとゆっくりと腰を下ろします。そして一口コーヒーを啜ると、「ああ、美味しい」と女に聞かせるように言い、さらに上体を女の方に倒して囁 きました。

「私のことお忘れになった?」

女の身体がビクッと震えました。そしてクルリと静子の方を向くと、 「あ、ああ、いいえ、シズコ夫人」と言いました。

「ああ、良かった、覚えていて下さって。でも今日は昨日とは随分雰囲気が違うのね」

静子は自分でも驚く程、落ち着いて言葉がすらすらと出てきます。

「え、ええ」

女は静子を見詰めたまま黙ってしまいます。

「昨日はマイクだったけど、今日のあなたは何てお呼びすればいいのかしら?」

静子はさっき会話を聞いてしまったことは言う積もりはありませんでした。

「わ、わたしは、ジー・・・」

女はそこまで言うと口を噤んでしまいました。

『あれ?ジーナじゃなかったのかしら、恋の奴隷さん』

静子は無性に女が愛しく思え、微笑みながらじっと見詰めます。

「わ、わたしは・・・」

女がやっと名前を言いかけましたが、また口を噤んでしまいます。

『どうしたの?あなたは私の恋の奴隷なのよ。恋の奴隷。ど・・・れ・・・い』

女は静子の口元をじっと見詰めていましたが、急に思い立ったように言いました。

「あぁ、ド、ドリーです、ドリーって呼んで下さい、静子夫人!」

少し 声を震わせながらそう言った女の顔は、まるで長年探し回っていた恋人に出会った瞬間のように輝いていたのです。


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