エピソード III〜 静子

1.新天地

大学生の頃の静子を知る級友たち、その殆どは男性ですが、彼らがもし最近の静子に出会う機会があったならきっと、「えっ、あの時の静子?」と驚くことでしょう。「もっと真剣にアタックしておけば良かった」と後悔する者も多いに違い有りません。T大学の情報工学科はいわばコンピュータ・オタクの巣窟みたいなところだったようですが、そんなところに違和感無く溶け込んでいたのが静子でした。化粧っ気の無い顔に、度の強いメガネを掛け、長い髪は後で束ねているだけで、いつも洗いざらしのジーンズとTシャツ姿でした。しかも女子にしてはかなり高い身長に生来の物怖じしない性格が重なり、級友たちの殆どは静子を女としては意識していませんでした。

それでも何人かは静子の整った顔立ちと、時折Tシャツを揺らす豊満な胸やジーンズを魅力的に穿きこなしている形の良いお尻に心をときめかせてデートに誘うこともあったようです。そして誘われると静子も快く受け入れたらしいのですが、二人っきりになっても全くロマンチックな雰囲気にならない静子に男たちの熱も直ぐに冷めてしまったようです。

「プールとかに行こうって誘われなかったの?静子夫人のビキニ姿を見たら男子学生たちはきっと大興奮したでしょうに」とドリーが静子に尋ねたことがありましたが、「みんなオタクだったからプールで遊ぶような人はいなかったわね」と静子は懐かしそうに呟いただけでした。

大学を卒業すると静子は大手商社の一つに就職しました。ちょうど女性総合職が脚光を浴び始めた頃で、しかも世の中はIT時代が幕を開けようとしていた時でしたらから、静子も自分の将来に大きな期待を持って入社したのです。 しかし入ってみると会社案内で読んだことやリクルート説明会での話とは大違い。そこはまだまだ旧態依然とした男社会だったのです。それでも静子は頑張りました。まだ新入社員なのだからこの時期を乗り越えればきっと素晴らしい未来が開けるのだと。

でも2年目の冬になっても一向に光は見えず、知人の勧めもあって静子はアメリカのいくつかのビジネススクールに願書を出したのです。 そして幸いにもITのメッカであるシリコンバレーの中心にあるS大学のビジネススクールから合格通知を受け取った静子は、翌春に商社を辞めるとアメリカに渡ったのです。ビジネススクールは9月から始まるのですが、少しでも英語に慣れようと静子はホームステイをして英語学校に通い始めました。そして8月の終わりに大学のアパートに移ったのです。

アパートには寝室が二つあって、東海岸からきたケイトという小柄でキュートな白人の女の子がもう一つの寝室を使い、あとは小さなキッチンとリビングルーム、そしてバスルーム を二人でシェアするといういたって質素なものですが、勉強に追われるビジネススクールの学生には十分でした。ケイトは大学を卒業して直ぐに来たので静子よりも二歳年下 です。しかも小柄な上に、少し甘えん坊のところがあって、まるで妹が出来たみたいと静子はケイトをとても気に入りました。そして何より静子が驚いたのは、ケイトはとってもお洒落なのです。普段着のジーンズとTシャツでもちょっと気の効いたアクセサリーをさりげなく付けていたり、お化粧も控えめなのにとっても魅力的なのです。そして休日にはガラッと雰囲気 の違うドレスを着てみたりと、男性と伍して仕事をするにはある程度は女らしさを犠牲にしなければならないと信じていた静子にとっては、女性としても魅力的なケイトの存在は驚きでした。

静子も実は中学生の頃までは男子生徒はもちろん、教師の間でも話題になる程の美少女でした。子供の頃から、美しい母と精悍で逞しい父に「静子は美人になるよ」と何度も言い聞かされて育った静子は、本当にその通りの美しい少女になったのでした。ところが思春期の少女にありがちな両親への反抗だったのでしょう、特に夫に尽くして家庭を守っている美しい母に対する反感は並大抵のものではなかったようで、高校生になった頃には静子は女らしいことを一切しなくなったばかりか、お化粧をしたり、お洒落をしたりする友達を軽蔑するようにさえなったのでした。 さらに追い討ちを掛けるように父の浮気が発覚し、幸か不幸か相手は行きつけの飲み屋の女の子だったのですが、それでも離婚届を叩きつけるわけでもなく、依然として父に頼って生きていかなければならない母に同情というよりは悲哀を感じ、自分は決して男に頼らずに生きて行こうと子供ながらに決心していたのでした。

そんな静子でしたが、ケイトの影響を受けて少しずつお化粧をし、度の強いメガネを止めて薄い茶色のコンタクトレンズを嵌め、また服装にも気を使うようになると、まわりの男子学生たちの反応が一気に変わりました。しかもアメリカ人の男の子達は褒めるのが上手なのです。

水泳を始めたのもケイトに誘われてのことでした。元々運動は得意では無かった静子でしたが、水泳は性に合ったようです。しかも最初はあまり似合ってなかった競泳水着姿が次第に様になってくる頃には、シェイプアップした自分の水着姿をプールで大勢の視線に晒すことが快感になってきたのです。

静子は益々美しくなり、まるでそれに引きずられるように成績も上がり、男友達も沢山出来て、その中の何人かとは二人で出かけることも度々ありました。

『今まで私は一体何を気にしてたのかしら』

高校、大学とずっと父や母に反抗していた自分のことを思い出すと、あまりにも自分は幼なかったんだなと思わず苦笑してしまう静子でした。

こうしてケイトは静子が美しさを取り戻すのにとても大切な役割を果たしてくれたのですが、もう一つケイトが教えてくれたことがありました。

ある土曜日の夜のことです。その夜は友達との予定がキャンセルになったので、静子は一人で本を読んでいました。12時を過ぎた頃、ケイトが帰ってきた音がしました。 いつもなら「静子、ただいま」と元気な声がするのですが、その日のケイトは黙って部屋に入ったっきりで、しばらくすると啜り泣きが聞こえてきたのです。

「ケイト、大丈夫?」

壁越しに声をかけても、ケイトは啜り泣くばかりです。静子は心配になって立ち上がり、リビングを通ってケイトの寝室をノックしました。

「ケイト?」

返事は無く、ケイトの泣き声が一層大きくなります。

「入ってもいい?ケイト?」

ドアノブを回すとロックは掛かっていません。

「入るわよ?」

少しドアを開けると、ケイトがベッドの上にうつ伏せになって枕に顔を埋めてワーワーと泣いています。

「まあ、どうしたの?」

静子は身体を滑り込ませるように部屋に入ると、ケイトの顔のすぐ横にしゃがんで顔を覗きこみながら肩をさすりました。

「ケイト、大丈夫?」

するとケイトは顔を起こし、そこにいるのが静子だと分かった途端に、より一層大きな泣き声を上げながら、上半身を起こして静子に抱きついてきたのです。

「ああ、静子!」

「もう大丈夫よ、ケイト。私がいるから大丈夫よ」

「ああ、静子、ああ、静子」

ケイトが泣きながら一層力を入れて抱きしめると、静子はバランスを崩して身体をケイトの方に傾けてしまい、上半身だけを起こしていたケイトはとても静子の体重を受け止めることは出来ず、二人はしっかりと抱き合いながらベッドに倒れこんだのです。

「御免なさい、ケイ・・・」

静子の言葉は途中でケイトの唇によって遮られました。

『何をするの、ケイト』

静子は抵抗しようとしますが身体に力が入りません。そしてケイトの熱い舌が差し込まれた瞬間、静子は自分の身体がブルッと震えるの感じ、自らも力いっぱいケイトを抱きしめたのです。

『ああ、ケイト』

静子はこれがレズビアンというものなのかしらと少し考えましたが、すぐにそんなことはどうでもよくなくなって、今はただひたすらケイトを抱きしめて、キッスをしたいと思ったのです。

ケイトの舌に絡ませるように静子も自分の舌をケイトの口の中に差し込み、ケイトの甘い唾液をゴクゴクと飲み干します。そして突然Tシャツの上から乳房を柔らかく掴まれた静子は、キッスをしたまま「ホォー」と喘いだのです。

すぐにケイトの手がTシャツの中に入ってきました。既にシャワーを浴びてベッドに入る前だった静子はブラを付けていません。ケイトの手が次第に上がってきます。

『ああ、乳房を愛して、ケイト』

静子は抵抗せずにひたすらケイトの舌を吸い、唾液を飲み続けます。そしてケイトの手が乳房をゆっくりと包むと、静子は骨盤の奥がキューと収縮して下着が濡れたような気がしました。

『ああ、こんなことって』

そして今度はケイトの手が下に降りて、スエットパンツの中に入ろうとします。

「駄目、それ以上は駄目よ、ケイト」

ケイトの腕を掴むと同時に唇を離した静子は、ハーハーと荒い息を吐きながらケイトを見詰めます。

「ああ、御免なさい、静子。あなたに愛して欲しくて」

そう言うとケイトは静子の胸に顔を埋めて、一際大きな泣き声を上げたのです。

「ケイト、私もあなたを愛してるわ。だから話して。一体何があったの?」

静子はもう一度ケイトを抱きしめ、美しいブロンドの髪を撫でながら囁きました。

大体察しは着いていましたが、やはりケイトはボーイフレンドのロバートと別れたのでした。それも、もう半年以上もずっと付き合っていたのに、ロバートはその間ずっともう一人の女の子とも付き合っていたらしいのです。

「良かったじゃない、半年で酷い男だっていうことが分かって。もっと傷が深くなったかもしれなかったわ」

話し終るとケイトはスッキリしたようで、先ほどの事を謝りました。大学時代ケイトは寮生活だったらしいのですが、その時に、何度か経験をしたそうです。普段は男性がいいのですが、時折女性に愛されたくなるのだとケイトは打ち明けてくれました。

「その気持ち分かるような気がするわ」

何て大胆なことを言うのかと自分でも信じられませんでしたが、静子はケイトには正直でいたいと思ったのです。確かにさっきケイトとキッスをした時、そしてケイトに胸を触られた時の身体の反応は、自分にもその素質があると信じるに十分でした。でも二度とそういうことは二人の間にはおきませんでした。もちろん抱き合ったり、軽くキッスをすることはありましたが、ケイトの手が胸に伸びても静子が「駄目よ」となだめると、ケイトはそれ以上の無理強いはしなかったのです。

ケイトにすぐに新しいボーイフレンドが出来たことも、二人の間にレズビアンの関係が進展しなかった理由だったかもしれません。そして肝心の静子はと言うと、常に親しい男友達はいたものの、ボーイフレンドと言える男性とはなかなか巡りあいませんでした。

そんな時に大学のセミナーの講師として静子の前に現れたのが戸川孝治、つまりコージ・トガワだったのです。子供の時に父親の仕事の関係でアメリカに来た戸川はそのままアメリカの大学に進み、S大学のMBAを取得した後、いくつかのベンチャーで実務体験を積んでからはベンチャーキャピタリストとしてかなり成功していたのです。セミナーの間も静子の鋭い質問に 感心した戸川でしたが、セミナーの後で雑談をしている時に、間近で見る静子の美しさに一層興味を持ったのでした。戸川は静子よりも一回り以上も年上でしたが、生来のワーカホリックの所為か、今まで一緒に住もうと思った女性さえいなかったらしいのです。

戸川はインターンとして働いてみないかと静子を誘い、経験を積む格好のチャンスと思った静子はもちろん直ぐにOKしたのです。そして半年後に晴れてMBAを取得した静子はそのまま正社員として戸川のファームに就職したのです。

早朝から夜遅くまで仕事に没頭する戸川は父を思い出させました。そう言えば背格好や体格もどことなく似ているかもしれません。女性は知らず知らずのうちに父親に似た相手を求めるとよく言われますが、自分もそうなのかしらと時折静子は思いました。でも、今のところは戸川を見ていても心がときめくことはありませんでした。たまに食事に誘われることもありましたが、話はいつも最近投資した会社のことばかり。MBA時代から続いている男友達の方がまだ少しは胸がドキドキすることもあったので、静子にとって戸川はあくまでも仕事の上での素晴らしい先輩に過ぎませんでした。

戸川のアシスタントとして数多くの投資を勉強してきた静子が、自分の責任と権限で1億円の投資をしても良いと戸川に言われたのは入社して1年ほど経ったころでした。どんな分析をして、どんな判断基準で考えればいいかということは十分理解していた静子でしたが、それでも最後の決断を自分でするというのはとても勇気の要る事でした。そのベンチャーが思ったように成長しなければ、1年 足らずで1億円は消えてしまうのです。

決める直前の1週間はほとんど寝ずにありとあらゆる資料を調べ直し、分析も何度もやり直し ました。最後はそのベンチャーの若いCEOの目をじっと見て、この子となら心中できると確信して静子は決断しのです。幸いにも神も静子に味方をしたようで、その会社はみるみる成長し、わずか3年後には株式公開を果たしたのです。静子の投資した1億円が何十倍にもなったのです。

静子の成功を何より喜んだのは戸川でした。そして仕事のパートナーとしてだけではなく、人生のパートナーにもなってくれないかと、静子に求婚したのです。

突然の話に静子は驚きました。しかし自分の力を認めてくれただけでなく、こんなチャンスを与えてくれてしかも成功に導いてくれた戸川は静子にとっては既に上司以上の存在になっていました。戸川ならもっともっと自分を成長させてくれるに違いない。ビジネスの面でもプライベートな面でも。

一晩だけ考えた静子は結婚を受け入れ、その夜に二人は初めてキッスをしました。でも戸川はそれ以上は求めてこず、静子は自分がとても大切に扱われていると感じて、ますます好きになったのでした。

半年後に二人は日本とカリフォルニアの両方で式を挙げて夫婦になりました。そして少し前から仕事を増やしていたロサンゼルスに二人は新居を構えました。何度か戸川と一緒にロサンゼルスを訪れた静子が、その気候と開放的な雰囲気をとても気に入ったのです。戸川はロサンゼルスにもオフィスを開き、二人の仕事は次第にロサンゼルスやさらに南のサンディエゴに比重が移ってきました。

それはマイクが日本からロサンゼルスにやってきて3年ほど経った時の事でした。 同じロサンゼルスに暮らす二人でしたが、マイクと静子が出会うまでにはまだ4年ほどの月日が必要だったのです。


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