エピソード II〜 ジーナ

14.運命の日

落ち着かないままに午後もあっという間に過ぎて夕方近くなったころ、ボスのジムに呼ばれました。

オフィスに入ると、珍しく笑顔のジムが立ち上がって握手を求めてきます。

「マイク!凄いニュースだ。コースト・キャピタルがリード・インベスターになることを決めたぞ」

「ということは」

「アプライド・ジーンズ社がいよいよスタートする」

「本当ですか!それは凄い。ついにやりましたね、ジム!」

「それでだ、君にも来て欲しいんだが、ディレクター・オブ・リサーチとして」

「ええっ、僕に?」

「今までだって君が研究の中心だったのだから、当然君が責任者になるべきだというのが投資家の一致した意見なんだ。来てくれるよな。給料だって倍以上になるし」

「今指導してる学生達は?」

「連れて行きたい学生は連れて行けばいい。僕も君も大学とAG、つまりアプライド・ジーンズ (Applied Genes) を行ったり来たりすることになるよ」

「ローラは?」

「もちろん、彼女がOKすれば連れて行っていいよ。君のプロジェクトだ、どっちで研究をしても同じだ 。ただ、ちょっと待てよ、彼女は上手くするとそろそろ学位のまとめに入るかもしれないな。そうだと大学に残るほうがいいかもしれない」

ローラと別れる良い機会なのかしら?

「そうですね。そういう事なら多分引き受けさせてもらうと思いますが、一晩だけ考えさせてください」

「もちろんだ、ゆっくり考えるといい」

「でも、本当にありがとうございます、僕を推薦して下さって」

「当然だよ、マイク」

 

自分の席に戻っても私は呆然としていました。ジムが最近は良くこの話で出かけていたのは知ってましたし、私も何度かベンチャーキャピタリストにプレゼンに行ったりしました。でも、こういう話はあと一歩で駄目になることがほとんどなので、そんなに期待はしてなかったのです。それが遂に実現することになったとは。

しかもお昼にローラから辛い告白を聞いた同じ日に知らされるなんて。もう何年もこの日の為に頑張って来たのだから大喜びしてもいいのに、まるでローラと離れる絶好の理由が出来たみたいで私は素直には喜べませんでした。

ローラに相談しよう。

未だ実験を続けているローラに今晩行っていいかと聞きました。大事な相談があるからと。ローラはいつもの笑顔でもちろんと答えてくれ、私は着替える為に一足先に帰りました。ジーナになって相談したかったのです。

アパートに戻って急いでシャワーを浴びてから女性用のTバックに穿き替え、ブラを付けて真っ白のノースリーブのシャツを着ます。急いでお化粧をして、髪を留めていたゴムを外して念入りにブラシを掛けます。下にはタイトフィットのジーンズを穿き、白のサンダルを履いて出かけます。始めてローラのアパートを訪ねた時と同じように中華とビールを買い、赤いバラを一本持ってローラのアパートに向かいました。

チャイムを押すとローラが返事をしながら歩いてくる音がして、ドアが開くといつもの輝くような美貌が現れました。

「さあ、入って、ジーナ。今、帰ったところなの」

ローラはシャワーを浴びたばかりの身体をピンクのホットパンツとタンクトップに包んでいて、シャンプーの良い香りがします。

「ハイ、これ。お祝いじゃないけど」

私は赤いバラを差し出します。

「嬉しいわ、ジーナ、ありがとう」

ローラはバラを受け取ると私をギュッと抱きしめ、そして頬にチュッとキッスをしてくれました。

「さあ、入って!私、腹ペコよ」

「私も。中華とビールを買ってきたわ」

まるで始めてローラのアパートを訪ねた時のように、黒いコーヒーテーブルに中華の容器とビール瓶が並びます。そして私達はまるで何事もなかったかのように良く食べ、良く喋り、そして良く飲みました。唯一の違いといえば、これからはお友達として付き合うことになったローラがより一層大切な人だと感じたことでしょうか。ホットパンツから大胆に露出した太腿にも、タンクトップからこぼれそうな乳房にも私は指一本触れませんでした。

そして食事が終わると私はさっきジムから言われたことを伝えたのです。

「おめでとう、ジーナ。相談してくれてありがとう。今日はあなたのお祝いの日ね。迷うことは無いんじゃない、行くべきよ」

「ローラは残るよね」

「多分ね、ジムに相談してみるけど、上手く行けば今のテーマで論文がまとまりそうだからそっちに集中したいわ」

「そうね、私もそう思うわ。じゃあ、決まり。明日、ジムに伝えるわね」

私が立ち上がると、ローラも立ち上がって、私達はギュッと抱きしめ合い、頬を擦りつけ合いました。

「最後に」

腕の力を緩めて頬を離すと、私はそう言ってローラをじっと見詰めます。

ローラも私をじっと見詰めています。

そしてどちらともなく私達はゆっくりと唇を重ね、次の瞬間には激しく舌を吸い合ったのです。目を閉じると、始めてローラに会った日、ローラがラボに来た日、始めて結ばれた日、そして私がジーナに生まれ変わり成長して行くのをずっと見守り続けてくれたローラとの沢山の思い出の日々が生き生きと色付いて蘇ります。そして頬を涙で濡らした私達は泣きながら互いの舌を吸い続けていたのです。

* * *

秋も深まる頃、私は大学からアプライド・ジーンズ社(AG)へ移りました。ローラに相談した次の日にジムに私も行きますって伝えてからは本当に目の回るような忙しさでした。 ジムは会長兼CEOですが研究業務はディレクターの私にまかせっきりです。それ以外の業務、つまり人事、経理、そしてベンチャーにとって大切な法律関係はコースト・キャピタルが送り込んできたカレンというブロンド美人がやはりディレクターとして取り仕切ることになりました。彼女は私よりは少し年下ですが、大手の製薬会社で人事課長の経験を積んだ他、経理と法律にも詳しいのです。

当面はカレンと私とでAGを引っ張っていくことになるわけで、まずは会社の場所探しから始め、幸い大学から車で5分程のところに貸しオフィス・ラボを見つけることができました。そしてほんの2ヶ月ほどの間に実験設備や器具、試薬などを全て用意したのでした。

実験室が完成すると私はテクニシャンを2名雇い、さらに学生や大学院生が交代で来て働けるように大学と話をつけました。 そしてカレンの下には帳簿係が毎日午後から出勤して経理処理をしてくれます。会長兼CEOのジムは大事な決定には関与しますが、それ以外は時々覗きにくる だけですから、AGは実質的には私とカレンとで動かしているようなものでした。

ローラは大学に残って学位論文を仕上げることに一生懸命です。私が週に一回程度ラボに顔を出すと、嬉しそうに仕事の進捗を話してくれ、そんなローラを見ていると思わず目が潤んでしまうのですが、何とか涙を堪えながら出来る限りのアドバイスをしてあげます。

週末は今までどおりフルタイムでジーナになるのですが、ローラとはあまり会えなくなりました。 恋人でなくても、友達でいいからローラに会いたいという気持ちはとても強かったのですが、私と会うとやはりマイクのことを思い出させてしまうんじゃないかと思うと、中々ローラを誘うことは出来ませんでした。AGの立ち上げで毎晩遅くまで仕事はあるし、週末もほとんど休みが無かったの も誘いにくかった言い訳です。

感謝祭休暇もほとんど休めないまま12月になるとアメリカの会社の常で早くもクリスマスパーティ の季節です。特に今年は会社が出来て始めのクリスマスですから、ジムは大学関係者の他に投資家達も呼ぼうと張り切っていて、カレンが早くからスケジュール調製に苦労していましたが、12月も中旬に差し掛かると皆さんとっても忙しくなるので、AGのような小さな会社はなるべく早い目にということで1週目の金曜日の夕方にクリスマスパーティをすることになったのです。

と言ってもお金の無いベンチャーですからホテルで豪勢なパーティをするわけではありません。お隣の会社と共用のロビーに建物の管理会社が飾ってくれている大きなクリスマスツリーの周りにテーブルを並べて飲み物やちょっとしたお料理を並べての立食パーティです。

定刻の午後4時を過ぎると少しずつ人が集まりだすので私もカレンもロビーに出て応対をします。ラボの連中がぞろぞろやってきたので冗談を言い合っていると、コースト・キャピタルの代表のゴードンが知らない顔を三人連れて入ってきました。 一人は私よりも若そうな美しい女性で、黒のツーピースを颯爽と着こなしています。きっとAGへの投資を決断してくれたベンチャーキャピタリストの皆さんです。

「やあ、マイク、久しぶり。元気そうだね」

「お陰さまで、忙しくて感謝祭休暇もありませんでした」

「ベンチャーはそうでないとね。ところで、紹介するよ。スカイホーク・パートナーズのロバート・ワトソンと、トガワ・インターナショナルのコージ・トガワ、そしてこちらは奥様のミセス・トガワ」

トガワさんってもしかして日本人?そしてこの美しい方は奥さんなのね。

「始めまして、マイク・タカシマです。この度はAG社に投資していただきありがとうございました」

同じことを言いながらまずロバート、そしてコージ・トガワさんと握手を交わし、ミセス・トガワの方を向いて手を出しました。

そして「始めまして」と言おうとした時に、「日本の方ね?」とミセス・トガワは日本語で尋ねられました。

「ええ、そうです。始めまして、タカシマです、マイク・タカシマ」

「私はシズコ。よろしくね!」

ミセス・トガワは美しいアルトで歌うように言うと、私の目を真っ直ぐに見詰めながら白く華奢な手を差し出されました。

そして私も吸い込まれるようにミセス・トガワの目を見詰めながら、ゆっくりとその優雅な手を握った瞬間、ズキンと背筋を電流のようなものが走ったのです。

「あっ、失礼」

慌てて手を離しましたが、私が身体をビクッと震わせたのでミセス・トガワも驚かれたようです。

「大丈夫?」

「ええ、大丈夫です。静電気かな?まあ、とにかく少しですが御馳走もありますのでゆっくりしていってください」

私はそう言って投資家達をテーブルの方へと案内すると、他のゲストにも挨拶をして回ります。そして一通り挨拶を済ませてから、ちょっと飲み物をと思ってグラスを取ると、トントンと肩を叩く人がいます。

振り返ると、ローラがビール瓶を掲げてニッコリ微笑んでいます。

「ローラ、来てくれたんだ!」

「盛況ね」

「まあね。挨拶回りで疲れるけど、みんなのお陰でこうしてAGがスタートできたんだからとても感謝してる」

グラスにビールを注がれながらローラを見詰めているうちに、また目が潤んでしまいます。

「おめでとう、マイク。私も学位頑張るから、あなたもAG頑張って」

「ありがと・・・」

最後は声になりませんでした。ローラはそっと身体を近づけると軽くハグをしてくれ、私は何だか力をもらったような気がしました。

「じゃあ、ジムにも声をかけてくるわね」

ローラはそう言うと少し顔を伏せるようにして向こうへ行ってしまいましたが、青い瞳が少し濡れていたようでした。

『ああ、ローラ。御免ね、ローラ』

遠ざかるローラの後姿をぼんやりと眺めていると、「タカシマさん?」と日本語で呼ばれました。

「ああ、トガワさん」

「シズコでいいのよ。あなたはマイクだったわね。さっきの人は彼女?」

「え、ええ、いえ、正確には元彼女」

「とても魅力的な人ね」

「ええ、それに凄く優秀なんです。今の調子なら3年で学位を取りそうなんです」

「それは凄いわ。ところでマイク。AGの研究のことを少し教えて下さらない?私もベンチャー・キャピタリストなんだけど、ライフサイエンス関係はあまり経験がないの」

「もちろん、いいですよ、シズコ・・・さん?何だか呼びにくいですね。やっぱりトガワさんと呼んでもいいですか?あるいはトガワ夫人かな?

「じゃあ、シズコ夫人って呼べば?」

「ああ、それがいいですね、シズコ夫人」

シズコ夫人は私よりも少し若そうですが、自分でベンチャーキャピタルを経営しておられるだけあって、とても落ち着いた上品な大人の女性の雰囲気を醸し出しておられます。私が仕事の話を始めると、魅惑的な目でじっと私を見詰めながら、美しいアルトで相槌を打ったり質問をされたりするので、私は嬉しくなって時間の経つのを忘れて話しこんでしまいました。途中からは 御主人のトガワ氏も加わって、話は次第にシビアなビジネスのことに移っていき、私が答えに窮する事もありましたが、そんな時にはシズコ夫人が「こうしたら?」とか「ああすれば?」等と思いもかけないアイデアを出して下さり、いつのまにか私が勉強させてもらってるようでした。

「とても参考になったよ。AGのことが益々気に入った。ありがとう、マイク。もっと色々話をしたいのだが、次の約束があるので残念だが私達はそろそろ行かないと」

「ああ、またいつでも声を掛けて下さい」

「またお会いしましょう、マイク」

シズコ夫人はそう言うとニッコリ笑ってトガワ氏に肩を抱かれるように去って行かれ、私はしばらく二人の後姿をボォッと眺めていました。

『シズコ夫人って今まで出会ったことのない素敵な方。もっとお話したかったわ』

トガワ氏はAGの投資家ですから、これからも時々はお会いする機会はあるでしょうが、シズコ夫人と会う機会は中々無さそうです。来年のクリスマスでまた会えるかしら等と考えながらテーブルに残ったスシを摘まもうとしていると、また肩をトントンと叩かれました。

「ああ、ローラ!」

「マイク、明日久しぶりにランチでもしない?」

ローラは顔を近づけると、「もちろんジーナも一緒よ」と囁きます。

「ありがとう、ローラ」

やっぱりローラは私のベストフレンドです。私が誘いたがっているのをちゃんと分かってくれてたのですね。

 

土曜日と言ってもローラは実験があるし、私も片付けなければならない仕事が山積みだったので、 ビバリーセンターで遅い目のランチを一緒にして、それから時間があれば買い物をすることにしました。朝からオフィスに出て仕事をしながら、ローラとこうして約束までして会うのは久しぶり、もしかしたらあの日以来かしら等と思い出に耽っていると中々仕事がはかどりません。

そうだ、今日は久しぶりに大胆な格好をしましょう。幸い12月と言うのに外は真夏のような陽気ですから、黒のレザーのミニドレスがきっとピッタリです。そうだ、ローラにも白のレザーのミニドレスを着てもらいましょう。

ローラに電話をしてドレスのことを伝えてから、私はアパートに帰ってシャワーを浴び、念入りにお化粧をしてから黒のレザーのミニドレスを着てビバリーセンターに向か います。駐車場に車を止めてサングラスを掛けたまま外へ出ると、いくら真夏のような陽気といっても12月であることには変わりなく、大胆に太腿を露出したドレスはとても目立ちます。しかもローラとはレストランで待ち合わせているので、そこまでは私一人で歩かなければなりません。

エスカレーターで8階まで上がりますが、久しぶりの大胆なドレスは真っ直ぐに立ってるだけで胸がドキドキして、それ以上のことは何もできません。

レストランを覗き込むと既にローラが来て座っています。

「待たせた?ローラ」

そう言いながらテーブルの角を挟んでローラの右側に腰をかけてサングラスを外します。 最近ではお化粧も板についてきたので割と平気でサングラスを外すことができるのです。

「私もいま来たところよ、ジーナ。そのドレス良く覚えてるわ。始めてあなたがミニドレスを着て外出した時に買ったのよね」

「そう。そしてあなたもそのレザーのミニドレスだった」

「よく二人でこの格好でデートしたわね」

「そう・・・」

そこまで言って私は後が続けられません。あっと言うまに涙が溢れ出し、俯いて目を瞑ると楽しかった思い出が、ビバリーセンターでの色んな思い出が甦ります。

ナプキンで目を押さえて顔を上げ、「御免なさい、ローラ」と続けます。

「だから今日は思い出のドレスを着て会いたかったの。でも、さっき電話をした時はあなたには辛いかもしれないなと思ったのよ」

「ううん、私は大丈夫。それより、これで吹っ切れるような気がするわ。もうマイクは居ないんだって」

「ああ、ローラ!」

「ジーナ!」

私達は身体を近づけると肩を抱き合い、頬をくっつけました。

ウエイトレスが注文を聞きに来たので、私達はいつものデートの時のようにレモネードを二つ、そしてサラダとシーフードパスタをシェアすることにしました。 そしていつものデートの時のようにローラも私も良く食べ、良く喋り、そして良く笑いました。

あまりにも話が盛り上がるので、まるでローラとの一生分の話を全部、今ここでしてるんじゃないかと、もう二度と会えないんじゃないかと、ふと心配になって私が口を閉ざすとローラがどうしたのと尋ねます。

再び涙を溢れさせながら私の心配を伝えると、ローラは、そんなこと無いわよと言いながらも、あっと言うまに大きな青い瞳を潤ませてしまいます。

ああ、ローラ。

私はローラに身体を近づけると左手で肩を抱き、頬をくっつけます。ローラも私の背中に腕を回して頬を押し付けてきます。

ドレスを通してローラの体温を感じますが、もうローラと肌を合わせることは二度と無いのだと思うと、ローラのことが今まで以上に大切なものに 思われ、神々しささえ感じます。

右手を伸ばしてローラの手を握ります。ギュッと力を込めるとローラも力強く、でも優しく握り返してきます。

キッスをしたい。

でも駄目。

私はゆっくりと身体を離し、ナプキンでローラの涙を拭いました。そしてローラが今度は私の涙を拭ってくれました。

「また会えるわよね、ローラ」

「ええ、また会えるわ、ジーナ」

 

実験の続きがあるというのでローラは食事を終えるとラボに戻りましたが、私はまだ帰る気持ちにはならず、一人でビバリーセンターの中を歩き回りました。 股下ゼロの超ミニ丈は一人になるととても心細いのですが、いつまでもローラに頼っていては駄目と、気持ちを奮い立たせるように胸を張って颯爽と歩くように努めたのです。 もちろんサングラスは掛けたままですが。

何かを買おうという気分ではありませんでしたが、それでも気を紛らわせる為に片っ端からお店を覗いて回りました。ブティックに入って春物のドレスを見て回り、ふと試着室が目に入ると、今にもドアを開けてローラが飛び出して来そうな気になり、フゥーと溜め息を付いてしまいます。

小一時間程歩き回ると脚も気持ちも疲れて来ましたが、まだ帰る気になれず、カフェでコーヒーを飲みながら一休みすることにします。通路に向かって椅子に腰をかけるとミニドレスの裾がずり上がってヒンヤリした椅子がTバックのお尻に直接触れ、 丈の短さを思い知らされます。そのままでは如何に太腿を揃えて座っても、その奥のTバックが通りを歩く人々から見えてしまうので、脚を高々と組むのですが、そうすると一層ドレスがずり上がって横からだとほとんどお尻までが見えそうです。

目の前を通り過ぎる人たちの視線が大胆に晒した太腿からレザーのミニドレスにピッチリと覆われたお尻、ウエスト、そして胸へと舐めるように這い上がり、最後にサングラスで隠された顔に 集まります。

私は遠くの方を眺めていて気付かない振りをしながら、人々の視線を楽しみます。そしてコーヒーの湯気がサングラスを曇らせるのを理由に、私はサングラスを外してテーブルに置 いたのです。堂々と顔を晒してゆっくりとコーヒーを啜りながら、大勢の人々の視線を全身に、そして顔にも浴びていると、沈んでいた私の気持ちが次第に晴れて くるような気がします。

「相席させてもらっていいかしら?」

突然日本語で尋ねられて振り向くと、コーヒーカップを持ったグレーのスーツ姿の美しい女性が微笑みながらサングラスを外すところです。

その聞き覚えのあるアルトは。まさか。

そしてあっけに取られて見ている私の前で、サングラスを外したのはやはりシズコ夫人ではありませんか。

周りを見渡すと、空いているテーブルはいくつもあるのにどうして?

「ぇえ、どうぞ」

少し声が震えてしまいました。

今更、サングラスを掛けるわけにもいかず、私はドキドキしながら視線を合わせないように通路の方に顔を向けます。

シズコ夫人はコーヒーカップをテーブルに置くとゆっくりと腰を下ろされます。そして一口コーヒーを啜って、「ああ、美味しい」とまるで私に同意を求めるように言うと、上体を私の方に倒して囁かれたのです。

「私のことお忘れになった?」

ああ、やっぱり気付かれていたのです。

私は観念するとシズコ夫人の方を向きながら答えました。

「あ、ああ、いいえ、シズコ夫人」

「ああ、良かった、覚えていて下さって。でも今日は昨日とは随分雰囲気が違うのね」

「え、ええ」

私は何て答えていいのか分からず、シズコ夫人を見詰めたまま黙ってしまいます。

「昨日はマイクだったけど、今日のあなたは何てお呼びすればいいのかしら?」

私の名前?

「わ、わたしは、ジー・・・」

ジーナと言おうとして、私は躊躇しました。

もうジーナは卒業しましょう。そして新しい私を見つけるのよ。でも、新しい私の名前は何?私に合う名前は何?

迷っている私をシズコ夫人が微笑みながら見詰めておられます。

「わ、わたしは・・・」

その時、シズコ夫人の口元が僅かに動きました。

『えっ、何ですって?ド・・・リ・・・イ・・・』

「あぁ、ド、ドリーです、ドリーって呼んで下さい、シズコ夫人!」

{エピソード II 完}


リード・インベスター:複数のベンチャーキャピタルが投資を行う場合に主導的な役割を担うベンチャーキャピタル のこと。通常、最も多額な資金を投資するベンチャーキャピタルがリードインベスターにな ります。AG社の場合はコースト・キャピタルというベンチャーキャピタルが最大の投資をするリード・インベスターになりました。>>> (本文へ

ディレクター:アメリカの会社の管理職の一つでマネージャーと副社長の間に位置します。マネージャーは日本での課長にあたる場合が多く、その上のディレクターは部長職に相当します。 ディレクター・オブ・リサーチは日本だと研究部長ですね。でもベンチャーのディレクターと大企業のディレクターでは責任の大きさも報酬も全然違います。>>> (本文へ


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